ゆきまつ孝太郎活動報告〔無所属〕

名張市議会議員【2期目】 教育民生委員長

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2012-01-29 [ Sun ]
テーマ:障害者支援

 本日、名張市防災センターにおいて、「障害者等のための防災セミナー」~日ごろの備えを考えよう~が開催された。第1部の講演会は、社会福祉法人AJU自立の家 水谷所長であった。このAJUが東日本大震災で障害者支援をしたが、現地の実態は『障害者は避難所に避難できない」ことがよくわかったということだ。この災害支援をのあり方を根本から見直す調査報告書をもとに説明を聞いたので、その一部を紹介しよう。(東日本大震災
被災障害者緊急支援・調査速報より引用)

1.取り組み概要
 AJU自立の家では、発災直後の3 月12 日早朝に名取市(宮城県)の障害者支援センターより「女性の介助者が被災したので至急女性スタッフが欲しい」との支援要請を受け、同日夕方に、女性3名を含む5名のスタッフが、積めるだけの物資と燃料を積んで被災地に走った。その後1ヶ月の間に4次にわたる26 名の支援隊を派遣し、救援物資と避難所間仕切りセット、障害者介助の専門スタッフを送り込んだ。
以下、第1陣の活動を時系列で振り返ってみる。

3月12日
• 早朝、名取市の障害者支援センター「ドリーム・ゲート」より、女性スタッフ派遣の支援要請。
• 午後、人選に入り、即出発を整える。AJUの備蓄品(水、非常食等)、発電機等積めるだけ積み、女性スタッフ3名、男性2名出発。

3月13日
• 夜、ドリーム・ゲートに到着。女性2名は早速介助に入り、男性2名と女性1名は仙台市にある自立生活センターを訪問、救援品を降ろし情報収集。
• 深夜ドリーム・ゲートに戻り、男性陣は車の中で仮眠。寒くて眠れず。男性陣は以降車中泊のみ。

3月14日
• ドリーム・ゲートでの介助、手伝い(女性利用者の介助、携帯電話の充電サービス、支援内容を告知する市民向け看板づくり)。
• 仙台市の障害者施設「太白ありのまま舎」にて救援品を降ろし、被害状況等の聞き取り。
• 名取市内の複数の避難所で聞き取り調査(被
災障害者の避難状況等)を行うが、障害者はほとんどみえてこない。

3月15日
• ドリーム・ゲートの活動をサポート(介助、調理、清掃手伝い、携帯電話充電サービス)。
• 仙台市の障害者支援センター「CILたすけっと」にて、状況確認、情報収集。
• 福祉避難所を訪問し現状と今後の受け入れについて調査。
• ドリーム・ゲートの電気が復旧。
• AJUへの被災障害者の受け入れ要請を受ける。

3月16日
• 受け入れ要請のあったKさんと入院先の病院で面会。名古屋への避難を合意。
• CILたすけっとに、避難者のAJUでの受け入れ体制があることを伝える。スタッフの疲労がピーク。

3月17日
• 女性スタッフ1名は残り、約3ヶ月間の予定で集中的、継続的支援にあたる。
第2陣は3 月21 日から、第3陣は4 月7 日から、第4陣は4 月11 日からそれぞれ被災地に入った(表1)。第2陣以降は、宮城県と岩手県からの要請を受けて、避難所間仕切りセットを合計220 セット届けた。間仕切りセットは、東海集中豪雨での被災体験に基づき、障害者が中心となって開発したもので、避難所のプライバシー空間を確保するためのものだ。避難者の疲れ、ストレスがピークに達しており、避難生活の長期化が予想されることから、病人、高齢者、障害者、妊婦等が少しでも安心できる空間をという願いから、スポンサーを募りカリタス・ジャパンと朝日新聞厚生文化事業団に応えていただき、無償で納入・設置を進めた。

3.スタッフ報告から
 大震災が発生して1週間、日々刻々と変わる状況。混乱の中から、AJUのスタッフが報告したのは以下の内容であった。
• 避難状況の把握が困難。行政、避難所担当者でも把握できていない。
• 情報収集の困難さ、特に普段関わりがない者には障害者の情報が得られにくい。
• 物資配布の不均衡。避難所内のみ、配布時にいた人にのみ配布され、避難所以外の被災者は物が余っていても断られていた。必要な人に必要な時に必要な量が届かない。活用できそうな物資が積まれていたが、その用途が物資担当の力量不足から理解されず配布されていない。AJUからは必要と思われる物資を届けたが、場所によって必要なものが異なった。
• 障害のある人にとって避難所での生活は極めて困難。体育館、校舎に入るには階段。体育館外に簡易トイレを設置しているが、車いすでは利用不可。校内に車いす対応トイレはあっても階段のため利用不可。抱えてトイレまで移動していた。移動介助が必要だが介助者がいない。仮設トイレはグランドの反対側にある。工事現場用のトイレなので、足腰の弱った高齢者は利用できない。
• 介助者の確保が困難。現地の団体では、スタッフも被災者。同じスタッフがほぼ毎日不休で支援にあたっていた。女性利用者の介助スタッフがおらず、単発の“外人部隊”では補えない。継続しての支援が困難との判断で障害当事者は両親の元へ帰ることに。

4.ヒアリング調査から
 被災者、自治体職員へのヒアリング調査から以下のことが分かった。
• 83 歳女性 ボランティアはいても家族以外に頼れない
車いすを使用。避難所にボランティアはいたが、受付や配給の対応にあたって
いて、基本的に被災家族が介助するしかない。(3/14 名取市立第二中学校)
• I さん女性14 歳(胃ろうによる経管栄養摂取) 避難所内で医療的ケアが必要小学校の教室の隅で車いすに乗って避難所生活。主な介助者は母親(父親も無事)。たん吸引などに使う道具を物資支給される飲料水で洗っていたので、名古屋から持っていった滅菌精製水や経管栄養剤などを届けたところ、とても喜ばれた。(3/23 石巻市・石巻湊小学校)

• 60 歳代夫婦 3日間自宅2階で孤立
夫は脳出血による左半身麻痺、車いす使用、左足に装具。
自宅は亘理町。津波が来たとき、車で逃げようとしたが間に合わず自宅2階へ避難。2日間布団にくるまり寒さをしのいだ。3日目に消防団に救助されたが、脱水症状気味のため宮城病院へ。回復後避難所へ。
夫は片麻痺があり、移動は車いすを使用。自衛隊の風呂は底が深くて大きく1人では入れず、担いで入れてもらうのも心配。地震があってから2週間まだ一度もお風呂に入れていない。
AJUスタッフの発案で、バケツを借りて体育館内で足湯を決行。夫の足はむくみ、乾燥し、装具をつけた足はマジックテープの締め付けすぎによる内出血が見られた。足湯で汚れも落ち、すっきりした様子。奥さんや周りの人が積極的にやり方を覚えてくれたので、避難者同士での足湯を提案した。(3/24 山元町・坂元中学校)
• Fさん、93 歳(寝たきり) 褥瘡悪化するも治療なし 介護者の体力が限界娘のKさんが13 年間1人で母親の介護。和室の隅で、マットと毛布を敷いた上にFさんが寝ていた。話しかけても反応がない。Kさんは風邪で声がガラガラな上、腰を痛めていたが、2時間ごとの体位交換を1人でやっていた。
「足りないものはあるか」と尋ねるとデュオアクティブ(褥瘡治療に使用するもの)を切らしているが病院まで取りにいけないとのこと。この日も仙台市の妹の家までエアマットをKさん1人でとりに行った。
褥瘡の様子を見せてもらうと、仙骨部分に拳大の褥瘡あり、黒ずんでいて膿んでいた。パットには血が付着。おそらく表面を開いたら骨が見える状態まで進行している。CILたすけっとに連絡し、褥瘡用のテープを用意できるとわかった。しかしとてもデュオアクティブで対処できる状態ではないと思い、救急車を呼ぶよう伝えるが「医者からもらった塗り薬があるからもう少し様子をみたい」とのこと。周囲の人も、この様子をみて「あら~…ひどいねぇ」との反応。1人では体位交換がしんどいから周囲も手伝ってほしいと伝えたところ、了解してもらえた。
避難所受付の人に「救急車を呼んだほうがいい」と伝えるが「ボランティアの看護師さんが来ているはず。気にしてみておきます」との返事。Kさんにも受付の人にも強く言うことができなかったのが情けない。
次に寄った東松島市役所の保健センターでFさんのことを伝えると、医療チームがあるので対応してくれると塩釜ガス体育館にて間仕切りセット納入・設置のこと。今すぐ診てもらうことはできないかと尋ねるとスケジュールがあるから無理と断られた。改めてKさんに電話をし「救急車を呼んだほうがいい」と伝えるが「はい、わかりました、ご丁寧にありがとうございました」と切り上げられた。(3/26 東松島市・大塩市民センター)

• Kさん、65 歳女性 迷惑かけるから風呂に入れない
障害者手帳は1種2級。装具と四支点杖を利用。自宅は流され、高齢の夫と2人で避難してきた。避難所へ来てからほとんど動いていない。他の避難者は入浴しているが、Kさん自身は「自分は時間がかかるし、みんなと同じように風呂には入れない。迷惑がかかるから諦めている」と言って風呂に入っていない。(3/27 気仙沼小学校)

• 気仙沼市障害福祉課の職員 要援護者把握できない市内には障害者が3000 人いる。うち、知的障害が500 人、精神障害も多数。身体障害のある方の中で、重度の障害の方の割合は多い。その方々の安否確認や、どこの避難所にいるかの把握はしていない。(3/27 気仙沼市役所)

• Mさん、40 代女性 昼間独居のため避難所で身動きが取れない夫と高校生の娘、小学生の息子と一緒に避難所生活。Mさんは高校一年の時に、肺ガンを発病し、骨転移による骨盤破壊のため、車いす生活に。
避難所で困っていることは、車いすでの移動。体育館の玄関には段差とスノコが置いてあり、一人でトイレに行くことができないこと。日中、夫は仕事(高齢者の施設で食事を作っている)、子どもたちはボランティアへ出かけていく。「一人きりになる日中が一番辛い。昼間は動けないので、ずっと座っている」と話し、車いすでの避難所生活では身動きが取れない。Mさん一家のスペースは3畳分もない。床に敷いた毛布。そこから車いすへ乗るのも大変な苦労。(3/27 気仙沼高校)

 避難所を訪ねても、なかなか障害者に出会えない状況が続いた。役場の職員や避難所の管理者に尋ねても、要援護者に関する情報が把握されていない状況であった。
もともと在宅サービスの利用が少なく、使っても訪問看護、訪問入浴程度で、発災時においても支援ニーズを発信しにくい状況がうかがわれた。

5.支援活動1ヶ月を振り返って
 AJUでは、近年の大規模災害支援の経験から、日頃のネットワークと、災害時に直ちに何々の支援が欲しいと思い切って言える関係が一番大事であると学んだ。
 今回も被災地からの支援要請を契機に支援活動が始まった。同種の当事者団体と比べて早期に支援が展開できたと思われる。しかし、上手くいったことばかりではなく、むしろ課題の方が多い。

■ 長期支援を支える人材
 震災直後からの支援は、余震や津波警報が繰り返される中での壮絶な被災状況の真っ只中での活動であった。今回の震災では緊急期が長く続いた。電気、通信、水、ガス等のインフラ復旧が遅れたことから、被災者も支援者も混乱が続いた。特に移動と情報の制約は致命的であった。スタッフは昼夜を違わず働き、寒さに震えながらの車中仮眠。本来なら長期にわたっての支援が必要だが、平安の中で生活していた者には、長期支援は極めて困難であった。こういう仕事を続ける自治体職員はもっと苛酷だろうと偲ばれた。

 介護、特に障害者の分野では、単発の支援で解決しないことが多い。「この人」の特性がわかり本格的な支援ができるまで(当事者の側からすると「この人」なら自分のことを任せられると思えるまで)、通常何日もかかる。属人的な仕事であり、当事者側、支援者側それぞれに個人差はあるが、概して効率が悪い。だからじっくり腰を押しつけて、長く関わる現地スタッフと一緒に動いて、引き継ぎを受けていくような関わりが必要だが、これまでの支援活動では実現できていない。避難生活の長期化、復興までの道程を考えると、介助者の養成を含めて解決を図らなければならない。

■ 災害ボランティアのあり方
 阪神大震災を機に災害ボランティアが市民権を得、以来我が国で災害が起きるたびに彼らが現地に駆けつけた。この未曾有な災害にあっても、「ボランティアは今必要ない。必要なのは義援金」という情報が役所とマスコミを通して伝えられた。混乱の極みにある中で、未曾有、広域災害下での行政による安否確認や救援は不可能であった。一方で、災害ボランティアのリーダーたちは、「ボランティアは現地に行きすぎる。現地が準備を整えてから」と言い続けた。そのことによりボランティアの出番は縮小した。

 阪神淡路大震災以来、災害ボランティアはシステム化され、地元社協が設置運営する災害ボランティアセンターを通してニーズを集約、派遣されるスタイルになった。災害ボランティアセンターには活躍の機会を待つボランティアであふれ、社協職員はボランティアを滞留させず効率よく派遣することに忙殺されてきた。地元のことをよく知り、地域福祉の拠点であるべき社協のエネルギーが、外部のボランティアのために注がれた。ボランティアの移送、不満への対応、ボランティアとしてのやりがい、などである。
ボランティアの役割とは何なのか、誰の判断で動くべきなのか、地元社協がお膳立てしてボランティアのお世話をする災害ボランティアセンターのあり方を、そろそろ見直すべき時期に来ているのではないか。

■ 被災者ニーズとマッチング
 従来ボランティアによる活動の内容は瓦礫の撤去や土砂の運び出し等の単純反復作業が中心であった。中には医師、看護師、社会福祉士、ヘルパー等、その道のエキスパートがいてもその専門性を発揮させることは災害ボランティアセンターでは困難であった。独自に現地に入ることが許されず、支援内容はセンターが事前に把握する「ニーズカード」の内容に限られた。被災者が個別のニーズをお願いすると「わがままを言ってもらっては困る」と片付けられた。

 こうした災害ボランティアのシステム化とは別に、独自に避難所や被災地に入る専門性を持ったボランティアも近年多くなっているのも事実である。「看護師協会」「社会福祉士会」「臨床心理士会」などの業界名と氏名を示す名札を付けて。

 今回の震災では、民間ボランティアによる支援ニーズはなかったのであろうか。
被災者のニーズはなかったのではなく、行政と災害ボランティアセンターの受け皿側の混乱から集約されなかっただけで、被災者自身ニーズの発信の方法や手段が見つからないまま、時間だけが経過したのではないか。このあたりをきちんと調査、検証する必要がある。

■ リーダーたちの判断と責任災害が起きるとリーダーたちは、何かにつけ先ず役所に駆けつける。現地情報をパニックの役人に頼る愚。誰も現地情報を把握できていない。断片的な情報による混乱。
かつての大本営発表と似ている報道と言ったら言い過ぎか。
またこの間に、「想定外」という言葉をマスコミはどれだけ使ったか。誰が何をどのように想定したかの検証もなく、無神経に「想定外」を繰り返す。いつの間にか想定外で、何もかも免罪とされてしまっていないか。

■ 災害時要援護者名簿の活用について
 今回の震災で被災した自治体では、要援護者名簿がどの程度整備されていたのか。
国は平成22 年度中に整備することを求めていたので、かなりの被災自治体で整備されていたはずである。
役場自体が津波で流されたり、その機能を失う中、要援護者名簿はどの程度残存したのか、避難支援計画に基づきどのように活用されたのかの検証が必要である。

 4 月16 日現在、災害時要援護者名簿に基づく安否確認や個別ニーズ調査が実施された自治体は確認されていない。直ちに実施すべきであるが、名簿はあっても安否確認や個別ニーズ調査を実施する手立てがないことが予想される。

 平成19 年の中越沖地震の際、柏崎市(福祉課)が障害福祉の相談支援事業所に委託して実施したように、ノウハウとマンパワーの集積した当事者団体や民間事業所に委託して、調査と個別支援を実施すべきである。

■ こころのケアの問題
 近年、災害時支援で称揚されるもののひとつに「こころのケア」がある。心理的な問題を発生させるものは、災害がもたらしたこの事態(生活と関係性)の全体であり、単なるカタルシスでは解決しない。困難をもたらしている問題の分析と以前の生活回復への見通しをつける作業が必要である。
個々人たちの努力ではどうにもならない問題であると同時に、どんなに優れた傾聴スキルを持ってしても解決できない。単なる相談ではなく、問題解決までに責任を持つ体制の形成が求められる。
誤解を恐れずにいうと、傾聴やカタルシスに偏重していないか、もしくは、「こころの問題」に転換して、生活全体の視点、生活の回復という問題解決の課題が置き去りにされていないか。

■ 見えにくい障害者へのアプローチ
 調査を始める中でなかなか見えてこない障害者の姿。早い時期に入所型の施設に家族なども含めて避難したという状況の中で一般の避難所から障害者の姿を遠ざけたのも一因とも言われている。避難所にいないだけなのか、被災した街の中にもいないのか。上記の課題と関連して、分析が必要である。
そして、元々の地域福祉サービスの利用の低い土地柄。復興の過程で障害者がどのように街の中に居場所をつくっていけるのか。共に生きる市民として、どのように関係性をつくっていくのか。災害がこれまでの支援のあり方と、地域性の限界を越えるきっかけになりうるか。

7.求められる支援の原則の転換
 障害者支援の側から言えば、阪神大震災以来、災害弱者支援はいっこうに進化していない。自衛隊による支援は大きく進化してきたが、弱者支援については想定外のことだ。病気を抱える人、高齢者、障害者、妊婦等々、避難所に居場所がないと判断できる人は避難所に行かない。例え行っても辛いだけ。避難所のリーダーは「皆被災して不自由なのは同じだ」と言うが、避難してからの状況は同じではない。どんな状況が起きても、いつも強者の論理で物事が進んでいる。このことを弱い立場の人たちは誰よりも肌で感じ、結局多くの人が避難所でなく、余震に揺れる自宅や車の中で息を潜め、耐えている構図は、今回も何ら改善がなされていない。行政もボランティアリーダーも頼りにならないことが実証された。

 従来から厳然とある「大量、一斉、公平、画一」の支援の原則ではこぼれ落ちる人たちがいる。何千、何万の数量を確保し、全員分揃うまで提供しない。100 人に対して50 個分のおにぎりしか届かずに全員がおあずけになり、賞味期限が切れてパーにした逸話もある。困難な人に優先的にという発想がない。避難者でないと支給されない。 個別に配る手立てがなく、支援拠点には皮肉なことに物資が余っている。
全国から集まった善意を仕分けし、ゴミとして処理するのに行政職員の膨大な労力がかかる。何千億円もの赤十字の募金も、災害ボランティアの派遣も、安定期ないし復興期に入ってからで、最も必要な時に届かない。災害ボランティアセンターに片付け=労力奉仕以外の個別のニーズを要請すると、「わがままを言われても困る」と片付けられる。ここでも無意味な公平・画一論がまかり通る。

 災害時の支援の定番は、避難所開設、毛布と食事の提供、簡易トイレ設置、そして数日後に自衛隊風呂だ。フロ、クソ、メシ、ネルの紋切り型支援では生きていけない人たちがいることを、もっと社会が気づくべきである。
要援護の状態にある個々の人たちが困っていることに対して、迅速かつ的確に優先的に解決することができない。支援者の論理に陥りやすい。要援護者は「みんな困っているのだから」と我慢を強いられ、支援ニーズを発信できない。そんな状況だから障害者は避難所に避難できない。

 「大量、一斉、公平、画一」のアンチテーゼとしては「個別、適時、優先的、多様」である。行政と、行政寄りの災害ボランティアにできなかったことを、民間の強みを活かして機動力と迅速性を発揮すること。公平ではなく、より困っている人「大量、一斉、公平、画一」のアンチテーゼとしては「個別、適時、優先的、多様」である。行政と、行政寄りの災害ボランティアにできなかったことを、民間の強みを活かして機動力と迅速性を発揮すること。公平ではなく、より困っている人を優先に。困っている「この時」「この人」「このこと」への集中的継続的支援が求められる。支援のノウハウとマンパワーを集積させた拠点を中心に。行き届かない物資については、必要な人が必要なものを自力で取りに来る方式に改め、自力で来られない人にのみ個別配布する態勢を作ってはどうか。避難所には手の空いた人もいるので、その役割を担ってもらう。第一に被災地の当事者と支援者のエンパワメントをめざすのである。

 東日本大震災は、災害支援のあり方を根本から見直すチャンスである。これまでの災害支援で積み残してきた課題を、徹底的に検証し、新たな支援システムを生むきっかけとしたい。AJU自立の家は、障害当事者の視点を活かしその先頭に立つ決意である。

以上の様な調査報告からもわかるように、被災者の思いと現場感覚、障害当事者の視点を生かして、名張市の障害者等のための防災力アップに力をそそぎたいと思った。

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プロフィール

ゆきまつ

Author:ゆきまつ
幸松(ゆきまつ) 
   孝太郎(こうたろう) 
65歳
住所:名張市百合が丘西2ー86
職業:名張市議会議員(無所属)
家族:妻、二男一女の5人家族
座右の銘:
”Mastery for Service
(奉仕のための練達)”
「”社会の中で輝いた生き方”をするために!」

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