ゆきまつ孝太郎活動報告〔無所属〕

名張市議会議員【2期目】 教育民生委員長

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2011-12-04 [ Sun ]
テーマ:人権

第2部は、宮里 新一氏の Talk & Live「生き直しコンサート ~ハンセン病からの解放~」を紹介しよう。

1.プロフィル
 1955年7月17日、沖縄県に生まれる。
 8歳の時ハンセン病を発症し、1964年12月、わけもわからないまま沖縄愛楽園へ連れて行かれる。
 愛楽園内の小学校を卒業し、同時に愛楽園を退所する。退所の際に入所者から「この病気のことは誰にも話してはいけない」と言われ、この言葉がその後ずっと彼の心を縛り続けることになる。
 地元の中学を卒業し高校に入学。16歳のときにギターと出合う。ギターを覚え始めると同時に歌作りも始める。
 17歳の時、詩を書いていた同級生が白血病で死亡したことに強い衝撃を受ける。以後本格的に詩を書き始める。
 18歳の頃から、ハンセン病の後遺症である神経痛に悩まされるようになる。後遺症についての正しい知識もなく、ハンセン病の既往歴を隠したまま一般の病院への通院を続ける。何よりも園に連れ戻されることを恐れていた。
 大学に入学し奨学金を受ける。勉強とアルバイトと音楽活動を続け、その無理がたたって神経痛が悪化する。学業を半ばにして卒業をあきらめる。
 23歳の時、愛楽園に再入所する。後遺症のため、左手の薬指と小指が使えなくなり、ギターが以前の弾き方では弾けなくなる。
 3年ほどの療養で愛楽園を外出し、社会での生活を試みる。音楽活動にも携わる。
 以後具合が悪くなれば愛楽園に戻るという生活を繰り返すことになる。
 結婚し家庭生活に入るが、音楽への思いを断ちがたく、1993年には仕事を辞めて奄美群島を旅する。旅の中で多くの啓示を受ける。音楽活動を再開し、沖縄県各地のライブハウスでライブを行う。しかし、ハンセン病の既往歴を隠し続けることからくる自信のなさから大きく踏み出すことができないまま、空回りしている自分に気づく。
 2001年3月、家庭生活に破れ、すべてを失って沖縄愛楽園の部屋にこもってしまう。そこで熊本判決を知り、原告団に入り、ハンセン病全面解決のための闘いに加わる。
 2001年9月、厚労副大臣との交渉で自分自身を語り、再び音楽活動を再開することを誓う。
2002年、正式に退所して社会での生き直しを図るため、熊本でコンサートを開催する。

2.ハンセン病の歴史
 世界では、2008年初頭の登録患者数(治療中の患者)は218,605人、2007年の新規患者数(年間罹患者数)は258,133人である[19]。登録患者数は一定の治療を終えた患者は治癒の有無に問わず、登録から除外されている。そのため年次報告の性質上、年内に治療が完了すると登録者から除外されるため、新規患者数(年間罹患者数)は登録患者数を上回る。MBでは1年でなく2年以上で治療しているので例外がある。また注意点としては、ハンセン病と発見できて適切に治療している人数のみをカウントしているため、ハンセン病が発見できず治療されていない患者も相当存在する可能性もあることが挙げられる。

 日本では、日本では1997年(平成9年)以降、登録患者数は公表されていない。日本国内の療養所入所者数は2008年現在2717人であるが、再発や治癒遅延でハンセン病の治療をしている人はごくわずかである。

3.WHOによるハンセン病制圧の定義
 1991年5月に開催された第44回世界保健総会で決定され、人口100万人以上の国で、登録患者数が人口1万人あたり1人を下回る(有病率が1.0を下回る)こととされた。この定義を遵守すると日本では1970年前後に制圧を達成している。2005年初頭はインド・ブラジル・コンゴ民主共和国・アンゴラ・モザンビーク・ネパール・タンザニア・中央アフリカの9カ国が未制圧国であったが、2006年初頭にインド・アンゴラ・中央アフリカが、2007年初頭にマダガスカルとタンザニアが、2007年末にコンゴ民主共和国とモザンビークが制圧を達成した。現在の未制圧国はブラジル・ネパールと、東ティモールが新たに加わり3カ国となっている。東ティモールは以前より有病率が1.0を超えていたが、人口100万人未満であったために定義より除外されていた。しかし、近年[いつ?]の人口増加により人口100万人を突破したために新たに2008年より加わった。

4.ハンセン病患者に対する差別には、いろいろな要因がある。
1.外見上の特徴から、伝統的な穢れ思想を背景に持つ有史以来からの宗教観により神仏により断罪された、あるいは前世の罪業の因果を受けた者のかかる病と思われていた。

2.「ハンセン病は、感染元がらい菌保有者との継続的かつ高頻度に渡る濃厚な接触が原因であるという特徴がある」ことから、幼児に対する性的虐待や近親相姦などを連想させ、偏見が助長された。

3.「非常に潜伏期が長いため感染症とは考えにくい」「政府自らが優生学政策を掲げた」ことから、「遺伝病」であるとの風評が広められた。

4.スティグマ (stigma) という言葉で説明する考えもある。スティグマは、もともとはギリシアで奴隷・犯罪人・謀反人であることを示す焼き印・肉体上の「しるし」のことで、汚れた者・忌むべき者というマイナスイメージが肉体上に烙印されたものである。ハンセン病に関するスティグマの広範な論及はウイリアム・ジョップリングの1991年の論文が最初である。大谷藤郎の著書「現代のスティグマ ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難」で知られるようになった。学術用語としてはアーヴィング・ゴッフマン (Erving Goffman) が使用した。

5.鼻の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損を生じるが、同じ症状を呈する梅毒と同じと信じられた時期があった。ハンセン病に罹患したダミアン神父もまた、女たらしなどという非難があったのは、梅毒とらい病が同じであると考えられていたからである。

5.ハンセン病の起源
 ハンセン病はもともとは熱帯地方の疾患と考えられている。遺伝子解析の手法で、地球上で最初にらい菌が生まれたのは人類が誕生した東アフリカであるという説が発表されている。

 ハンセン病に関する最古の記述は、紀元前2400年のエジプトの古文書、医書としては紀元前1500年頃のインドの『チャラカ・サンヒター』や『スシュルタ・サンヒター』である。その他にも、ペルシアでは紀元前6世紀に、中国では『論語』に、あるいはギリシアでは紀元後1 - 2世紀の医師の記述にハンセン病の症状の記述がある。

 日本のハンセン病に関する最古の記述は720年頃、日本書紀に残っている。

最後に、宮里新一さんは、ハンセン病と闘いながら、詩を書き、歌を歌っていた人間がいたということを一人でも多くの人に知ってもらいたい。ということで、名張市は、2度目のコンサートでしたので、たっぷりとオリジナルソングを7曲以上打ったくれました。

 今後もハンセン病の解放のために頑張ってほしいと思います!

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プロフィール

ゆきまつ

Author:ゆきまつ
幸松(ゆきまつ) 
   孝太郎(こうたろう) 
65歳
住所:名張市百合が丘西2ー86
職業:名張市議会議員(無所属)
家族:妻、二男一女の5人家族
座右の銘:
”Mastery for Service
(奉仕のための練達)”
「”社会の中で輝いた生き方”をするために!」

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