ゆきまつ孝太郎活動報告〔無所属〕

名張市議会議員【2期目】 教育民生委員長

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2012-08-09 [ Thu ]
テーマ:千年持続学

昨年、名張市に講演に来ていただいた名古屋大学大学院環境学研究科准教授のお話を聞く機会があったので,教授の「千年持続学」について紹介したい。

 高野準教授は、「千年持続学」を推奨しておられ、-21世紀の危機とそれを乗り越える知恵ーと題した内容です。

★.地下資源は枯渇するか

●地域別原油生産量の変遷および予測

 原油生産の今後の展望を考える上では、地域別の資源量をみる必要がある。図2の2000年までの原油生産量の推移は、世界を7地域に分けて、2000年初頭における、地域別可採年数の大きい地域から順に原油生産量を積み重ねたものである。1960年代70年代と指数関数的に原油生産量が増大していることがわかる。また、それ以後の変動は主に中東の生産量の変動によることがわかる。2000年以降について、実線は、各地域の原油生産量が一定のまま、現在の確認埋蔵量の分まで(つまり新たな発見はないと仮定して)掘り尽くして生産が終了すると仮定した時の生産量の積み上げを示している。枯渇するまで各地域の原油生産量が一定であるというのは乱暴な仮定であるが、ひとつの目安と考えていただきたい。

 いずれにせよ現在の確認埋蔵量分では、西欧(主に北海油田)、北米はもう10年程度しかもたない。2030年になると、ほとんど中東しか残らないことになる。一方、中東は21世紀末まで生産できる埋蔵量がある。

 実線は、今後の発見分を考慮していないため、もっとも厳しい見積と言える。一方、今後、どれくらいの量が発見されるか、という予測がアメリカ地質調査所によって行われている。点線は、この「未発見」量の見積分を現在の確認埋蔵量に加えて、現在の生産速度で何年生産できるかを地域別に積み上げたものである。アメリカ地質調査所の見積は、さまざまにある予測の中でもっとも楽観的なものである。

 したがって、おおざっぱなひとつの目安として、現実の原油生産量の今後の展望は、この実線と点線の間を通ると考えられる。そうすると、原油の供給能力は北海と北米が枯渇する2010年から2020年ころにピークを迎え、その後、アジア(主にインドネシア)、旧ソ連・中国、アフリカ、中南米と次々に枯渇するにつれて、減少すると考えられる。もちろん、他地域が枯渇した分を、中東の増産によって賄い、世界全体としては供給能力をピークのまま維持するというシナリオもありうるが、そうするかどうかは、中東産油国のみが決定権を持っている。

●第三次オイルショック?

もう一つは、読み取ることができるのは、1978年の第二次オイルショックによっていったん減少した原油生産量は、その後、現在に至るまで大きく増大しているということである。これまでずっと、需要が供給能力を上回ったことはなく、したがって、この曲線は基本的には需要で決まっており、潜在的な供給能力は現実の生産量よりも多いはずである。この需要の伸びには、アジア諸国の経済成長とモータリゼーションが大きく貢献していると思われる。一方、北海および北米の油田の枯渇に始まる事態は、供給能力の減少である。そうすると、このまま行けば、2010年から2020年頃までのどこかで、需要が供給能力を上回る可能性が高い。そうなると、原油価格の上昇が起り、場合によっては第三次オイルショックが発生する可能性がある。

 エネルギー供給速度から読み取れることは、価格変動曲線は、1999年に急激に価格が上昇していることを示している。この結果、日本国内では石油産業の再編が起った。アメリカではガソリン価格の上昇が政治問題化しつつある。この価格上昇は、地域的な石油の枯渇に伴う、世界の原油供給能力の頭打ちおよび減少という事態に向けたものである可能性を十分考えておく必要があろう。

●地下資源は必ず枯渇する

 石油を一つの例として見てきたように、地下資源は必ず枯渇する。問題はどう枯渇するかということである。世界全体で計算した「可採年数」まで一定の供給能力があり、その後、突然枯渇するというわけではない。早く空になるタンクから順番に無くなっていくのである。一方で、中東において石油の最後の一滴まで枯渇するのは、100年後以降であるとも言える。「可採年数」とはそういう数字なのである。

 石油についていえば、世界全体の「可採年数」が40年であるにもかかわらず、このまま行けば、おそらく今後10年から20年くらいの間に深刻なオイルショックが来る可能性を否定できない。そのために何らかの努力を行う時間は、実はたいへん限られているのである。

★.千年持続学とは?

●20世紀型・21世紀型・千年持続型・社会システム

 20世紀に、世界は人口も経済も爆発的に成長した。これによって、資源の大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄の社会システムが、全世界的なシステムとして成立した。これは、石油が開発され大規模に利用されるようになってはじめて可能となった。石油は穴さえ掘れば、かってに吹き出してくるので、生産コストが安く(それに対して例えば石炭は人間が地下にもぐって掘らなければならない)、「油水」のように使うことが可能となった。

この社会システムは、持続不可能である。つまり、1)石油をはじめとする地下資源は必ず枯渇する。2)廃棄物が地球にあふれるとこのシステムは機能できなくなり、いずれ必ずそうなる。20世紀の社会はこの二つの限界を感じることなしに、爆発的な成長を遂げた。20世紀は「発展=開発」の時代であった。しかしながら、ここにきて、これらの限界が迫ってきた(図1a)。現在、われわれは、再生不能資源(地下資源)も、再生可能資源(水や生態系の資源)も急速な勢いで消耗しつつあり、このままいけば、資源の枯渇によって食糧や工業生産システムがパニックを起こし、深刻な危機が訪れる可能性が高い。

 再生不能資源のうちでも最も重要な石油の生産量予測によると、生産可能量は2010年から2020年でピークを迎え、それから急激に減少する。世界の石油需要は、1979年オイルショックの影響が落ち着いてからこのかた確実に上昇しているので、あと10年から20年の間に需要が供給能力を上回り、激しいオイルショックがやってくる危険性がある。

 もっとも、他の化石燃料はまだまだ残っている。この点は重要だ。天然ガスの生産量ピークは石油よりもう少しあとで、2030年とかになり、その後減少すると予測されている。石炭は、もう100年から200年くらいもつであろう。ただ、そのエネルギー供給速度は、21世紀後半を通じて、1980年代のレベルと予測されている(文献1)。

 2100年以降、地下資源は完全に枯渇すると思われれる。そうなると、われわれ(の子孫)は、かつての地下資源を掘り出した地上資源(リサイクル資源)と、生態系の資源(再生可能資源)を持続的に使って生きる他はない。このような社会は千年先にも持続可能であると考えられるので、これを「千年持続型社会」と呼ぶ(図1b)。

●千年持続型社会への移行期としての21世紀

 社会を支える資源・エネルギーの観点から見た時、「20世紀の開発型社会」から「千年持続型社会」への移行期として「21世紀型社会」をとらえることができる。そうとらえた時に、21世紀は、化石燃料(天然ガス・石炭)がまだ残っていて、余裕のあるうちに、千年持続型社会を準備する時代であるべきだ。「持続可能な開発」とは「千年持続型社会を準備するための技術や社会システムの開発および産業構造の転換」である、ととらえることができる。

 この準備は、二段階あって、第一段階は、石油に依存しているものを天然ガス・石炭にスムーズに乗り換える、ということである。われわれは日々、石油を「食べ」、石油を「着て」暮らしている。例えば、あと10年で、石油で動いている船をすべて天然ガスで動くように作りかえる、ということの困難さは想像に難くない。しかし、こういう努力をしないで放置しておくと、メガ・オイルショックをまともにくらって、深刻なパニックが起る危険性がある。一方で、天然ガスによる燃料電池・熱電供給システムなどのような、効率のよい新しい有望な技術も登場している(文献2)。

 第二段階は化石燃料依存から脱却し持続可能なエネルギーシステムに移行する、ということだ。ありうるのは、太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスエネルギーである。今日、これらのエネルギーは、補完的、補助的な役割しか期待されていないものの、潜在的には主要なエネルギー源になる可能性は十分にある。

 他の資源の面でも持続可能なシステムに作り替える必要がある。例えば、20世紀の後半、爆発的な人口増加を支えたのは、大量の化学肥料である。例えばリンは地下資源のリン鉱石を掘って、田畑にばらまいて食糧を作っている。このままいくと、21世紀の半ばから後半にはリン鉱石は枯渇し、深刻な食糧不足がやってくるのは確実である。リンを完全にリサイクルさせる農業・社会システムをつくる必要がある。

 今一度注意していただきたいのは、千年持続性を考えるとき、人間のとりくむべき課題は千年先ではなくて、10年先にある、ということだ。これは、次世代の問題ではなくて、われわれの世代の課題である。

★.グローバリズムVSバイオリージョナリズム

 今、不況にあえぐ日本においては、産業構造の転換=新産業の創出が叫ばれている。現時点では、これは、アメリカ発のグローバリゼーションの流れに乗り遅れるな、ということの言い換えにすぎない。しかしながら、経済のグローバリゼーションというのは、世界的な「業界標準」をめざす競争であって、それに勝つことのできたごく少数のものが生き残る「ひとりがち」の競争である。他方、グローバリゼーションとは「世界のアメリカ化」である。情報テクノロジーでもバイオテクノロジーでも、日本ですらアメリカにはかなわないと思われる。つまり、グローバリゼーションとはアメリカがしかけた、アメリカ「ひとりがち」の競争であるように見える(文献3)。

 では、アメリカが21世紀に本当にひとりがちできるか、というと、私には、そうは思えない。アメリカは石油の枯渇だけでなく、水(化石水という再生されない地下水で、アメリカ農業のかなりの部分はこれに依存している)の枯渇という「油水」爆弾を抱えている。この二つの液体地下資源の枯渇によって、アメリカは21世紀の前半に、深刻な危機にみまわれる危険性がある。

 日本は(アメリカ以外の国は)、このままいけば、グローバリゼーションにおいてアメリカに敗北し、資源の枯渇においてアメリカと心中する道をたどっているように思われる。

 日本は別の道をたどるべきである。それは、千年持続型社会をめざして、移行期として「持続可能な開発」を行う、という道である。今の日本経済は、石油を利用することに最適化している。これを天然ガスや石炭に置き換えることは、新しい技術と社会システム(インフラ)の導入を必要とする。持続可能な農業を行うにも、持続可能なエネルギーシステムを作り上げることも、たくさんの新しい技術と社会システム(インフラ)を開発することが必要である。これこそが、今求められる真の産業構造の転換であり、新産業の創出であると考えられる。

 石油が枯渇すれば、今のように世界のすみずみから物を集め、また配る、という大規模な物流は困難になるだろう。そうすると、グローバリゼーション経済は基本的に立ち行かなくなる。例えば、関東地方とか、中部地方とかくらいの規模で必要な食糧や物資やサービスが調達され、また、必要な雇用もある、という社会にならざるをえないのではないだろうか。また、今の日本ではほとんど見向きもされない森林の資源をはじめ、生態系資源を高度にかつ持続的に利用することが必要になろう。このような社会をめざす思想が「バイオリージョナリズム(生命地域主義)」(文献4)である。

 もちろん、バイオリージョナリズム社会が現時点で実現できない強力な理由がある。それは、石油の価格がきわめて安いということである。太陽光発電も、リサイクルも、石油とのコスト競争に勝てない。しかし、今後、石油価格は、枯渇にむけて不安定な乱高下を繰り返しながら、確実に上昇するであろう。それにつれて、コスト的にみあう持続可能技術がでてきて、その瞬間にいっせいにベンチャービジネスが花開く、というシナリオを描くことは、そう無謀なことではないように思われる。それに向けて今から技術やノウハウ、インフラを開発しインキューベート(培養)しておく、ということが必要であり、それが「持続可能な開発」の具体化の一つの姿であろう。

★.おわりに:里山の森で

 私のうちの近くに、江戸時代に造られたため池の周りに、奇跡的に残っている里山の森がある。1950年代までは、薪炭林として利用されていたと思われる森は、今はうっそうと木が生い茂り、昼間でも暗い。わずかに下草が刈られて手入れされているのは、池のほとりの遊歩道の近くである。そこは、気持ちのいい赤松の林が散歩する者の目を楽しませる。

 昨年、中国四川省に調査に行って、省内を車で走りまわった。四川省の風景には、山もあり谷もあるものの、木がない。山のてっぺんまで段段畑が延々と連なり、あぜの土手にまで麦が植えられている。四川盆地には、人間と家畜と農作物しか生物はいない、と言ってもそう誇張とは言えない。限界まで自然を利用しつくした社会の姿がここにある。そのためにたくさんの生態系や生物種が消滅したことだろう。

 ひるがえって、日本の自然は、実に豊かである。それは、日本の自然を十分に利用することをやめ、エネルギーや食糧すら外国の資源と労働に依存しているからでもある。猫の額ほどの里山の道を歩きながら、ここに豊かな自然とたくさんの資源があるではないか、と思う。山で木を育てエネルギー資源として利用する、「エネルギー林業」を育てたいものである。木から作られたアルコールやガスで、バスが走ったり、集合住宅では燃料電池を使って発電・暖房・給湯が行われる。今使っているコンピュータを動かす電気は、あの山の木からきてるんだ、っということが実感できる社会は、どんなにか心おだやかな社会なのではなかろうか。そのような暮らしをしてみたいものである。■

◆参考文献◆

1)化石燃料の将来については、小西誠一『エネルギーのおはなし』日本規格協会、1995年を参照。
2)天然ガス・燃料電池システムの可能性については、赤池学、藤井勲『「温もり」の選択』TBSブリタニカ、1998年を参照。
3)グローバリゼーションの実態とその意味については、トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』上・下、草思社、2000年を参照。
4)バイオリージョナリズムについては、赤池学「環業革命の時代:3生命地域主義時代の到来」『世界』1998年8月号参照。

 以上のような高野先生に、名古屋大学大学院で学びたい人は、

千年持続学プログラムの内容

1)教育目標
持続可能な地域社会を作り出すために直接役に立つ研究能力を身につけ、アカデミックな研究者としてだけでなく、社会起業家として、あるいは行政・シンクタンク・NPO/NGO・企業の中で、地域リーダーとして活躍できる人を育てます。

※千年持続学とは、千年先でもやっていられる暮らし方を今から実現しようというもので、そのためのヒントは千年前から続いているものにある、という考え方に基づく新しい環境学です。
(社)資源協会編『千年持続社会-共生・循環型文明社会の創造』日本地域社会研究所,東京,278p.,2003年.

2)カリキュラム
●オンサイト・リサーチ・トレーニングORT:主に東海地方の地域づくりの現場に入り、地元住民や行政のみなさんとともに、地域の問題の解明、課題の発見、地域づくり計画の策定、地域づくり実践活動およびその評価を行います。その中で個人研究テーマを設定し、博士論文の作成を行います。

●地域づくりスキル向上プログラム:地域づくりのプロセスに不可欠な、コミュニケーション、コーディネーション、ファシリテーション等のスキルを身につけるプログラムを実施します。

●地域デザイン演習:地域の人口、森林、エネルギー需給、食と農、産業と地域経済の実態把握とデザインおよび将来シミュレーションを行うための各種ツールについての講義と演習を行い、必要に応じて使いこなせるようにします。

●持続性学連携セミナー:他研究室、他専攻の学生とともに、持続可能な地域づくりについて発表と討論を行います。さまざまな立場から地域をとらえることができるようにします。

●千年持続学セミナー:月1回の研究室セミナーで博士前期課程学生や学部卒研生とともに研究発表と討論をすることで、個人研究の進展をはかります。

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プロフィール

ゆきまつ

Author:ゆきまつ
幸松(ゆきまつ) 
   孝太郎(こうたろう) 
65歳
住所:名張市百合が丘西2ー86
職業:名張市議会議員(無所属)
家族:妻、二男一女の5人家族
座右の銘:
”Mastery for Service
(奉仕のための練達)”
「”社会の中で輝いた生き方”をするために!」

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