ゆきまつ孝太郎活動報告〔無所属〕

名張市議会議員【2期目】 教育民生委員長

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2012-06-10 [ Sun ]
テーマ:名張市地域づくり組織

昨日、表題の理事会が開催された。5月に代議員総会後の初めての会議であったが、何とか22時までには終了することができました。

議題は、
①役員会からの報告
②終末処理施設の行政への移管後の環境整備について
③専門部会からの報告
④その他
 特に、今回、その他の事項で、三重県、名張市で緊急の問題となっている①県立高校の再編活性化問題、②災害廃棄物受け入れ問題の2点について、県議と市議から成果な情報を提供するということで、個々の住居を構える北川県議と細矢・幸松市議で県の立場や市の立場を踏まえて「忌憚のない意見」を述べさせていただきました。

 最初の高校の統廃合については、出来るだけ早く「地域住民向けの説明会」を要望して地元の保護者に早く実態を知ってもらうようにしようということになりました。いずれにしても、この問題の必要性にあたる平成27年度統合について、時期を延期することや中高一貫などを要求することも私見ですがお話しました。)
※6月議会にゆきまつは、この高校問題において、市教育長に「一般質問」として通告していますので、TVの視聴か傍聴にお越しおただき詳細をお聞きください。

 次に、災害廃棄物の受け入れについては、憶測も入りますが、私なりに次のようにお話させていただきました。
1.三重県の廃棄物処理に関するガイドラインが決まったこと。(名張市は、この基準を基本に考えている)
2.今後、伊賀市、名張市が受け入れを検討する。
3.まず、月曜日に両議員で構成されている「伊賀南部環境衛生組合(クリーンセンター) 全員協議会が開催され、審議すること。
 その後、伊賀市議会でこの問題の方向性が出てくること。
4.伊賀市の方向性が決まったのち、名張市議会も方向性を決める。
5.最終的に両議会で、受入れる方向になった場合には、両市ともに住民の合意が前提になりますので、説明会で安全性についての納得が得られるようにする。(受け入れが、否となった場合は、検討が中断することですので除外します)
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2012-06-03 [ Sun ]
テーマ:ホタル

私の住んでいる百合が丘地域の裏に「釜石川」が流れています。近年、ここにホタルが生息して地元の住民から地域の財産として楽しめていますので、紹介したいと思います。

百合が丘のみなさんには、各家庭に連絡が言っていると思いますが、6月2日現在の状況では、セコムの裏、緑の散歩道「テラカド」から降りてくると池がありますが、この周りには、ゲンジボタルが多数発生中。このあたりの釜石川には、ヒメボタル(☆印)が随所に見られます。

時間は、オスが20時から21時30分。メスが24時から午前1時ごろまでです。

ピーク予定は、6月7日から13日まで(一応、20日ごろまで見れると思います。

ご家族で、友達同士でホタル観賞をお楽しみください!
2012-05-20 [ Sun ]
テーマ:教育

昨日、地元 青蓮寺・百合が丘地域づくり協議会 教育部会の24年度の活動がスタートしたので紹介しよう。

『名張市の百合が丘小学校の児童が参加する放課後教室「百合小こどもクラブ」の今年度の活動が5月19日始まり、初回は近畿大学高専ロボット技術部の協力で3種類のロボット遊びを楽しみ、夏に向けてスイカの苗植えもした。

この教室には、同小に通う児童のうち100人以上が登録し、保護者や地域のボランティアらによるサポーターの協力のもと、スポーツやレクリエーションに取り組んでいる。毎回50、60人前後が参加しており、この日も84人が集まった。

 昨年名張に移転し、百合が丘に学生寮がある同高専との連携として、この日は学生11人が協力。アメリカンフットボールのパスを出すロボットなどが登場すると、80人以上集まった児童らは、目を輝かせながら遊びに熱中していた。

 同教室では今年度、月に1、2回、地区内のオリエンテーリングや虫取り、竹馬作りなどを開く予定。この日6年生が植えたスイカは、夏までに育て、7月末にスイカ割りなどで楽しむことになっている。』
2012-03-14 [ Wed ]
テーマ:地域ビジョン

3月3日に名張市の15地域による地域ビジョンの発表会があったことは、このブログでお知らせしましたが、
青蓮寺・百合が丘地域づくり協議会・地域ビジョン策定委員会の「地域ビジョン」について、この2年間の活動報告(PDF)がご覧いただけますので、ご確認ください。

アドレス「http://www.emachi-nabari.jp/tiiki/syourenji-yurigaoka/?p=90」
2012-03-04 [ Sun ]
テーマ:リビング・ウイル

今日は、寺田病院理事長に表題の講演会をしてもらったので、今回「死」について考えることにしたいが、その中の話に「リビング・ウィル」があったので、報道されている資料を調査したので、これを紹介しよう。

●なぜ「わたしたち」は、リビング・ウィルを書くのか!
 わたしたちはだれでも病気にかかるよりは、健康な生活を送り、死ぬときは自然に大往生を遂げたいと思っている。〈ぽっくり信仰〉がはやる訳もそのようなところにある。しかし、死や病は、自分の思うようにはやって来ず、場合によっては突然やってくるかもしれないし、どのような病気にかかるのか、あるいはどのような死を迎えるのかは予測不可能である。しかし、人間がいずれは死ぬべき運命にある生きものであるなら、何らかの形で自分の望む死を迎えたいという気持ちは、許容されてよいのではないか。リビング・ウィルを作成する意図も、概ねそのようなところにある。では、リビング・ウィルとはどのようなものなのか。

1 「リビング・ウィル」とは
遺言が〈死後〉の自分の意思を書面で伝えておくものであるのに対し、広い意味でのリビング・ウィルとは、〈生前〉の自分の意思を書面で伝えておくものである。それに対し、事前指示(アドバンス・ディレクティブ advance directive)とは、自分が疾患、事故、高齢などにより、医療、介護を受けるとき、利用者としての意思決定(治療方針の拒諾を含む指示など)を、判断能力のあるときにあらかじめ書面で医療者へ指示しておくものである。以上から、アドバンス・ディレクティブも、広い意味のリビング・ウィルに含まれるものであるが、米国では、日本で使用されている、例えば、尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」とは異なり、法的書類として保証されている。合衆国連邦最高裁判所が保証しているのは、(1)ある状況下で、自分がして欲しい医療、あるいはして欲しくない医療について述べたリビング・ウィルと
(2)自分が思考能力も含め無能になった場合に、誰かに自分の医療について決定する権利を第三者に委任するものとの2種類がある。
 また、カナダでは、「リビング・ウィルとは、われわれが病気、障害や高齢のために思考能力も含め無能になった場合に、このように扱って欲しいと予め述べておく書類」であるとし、ウィルアム・モーロイ博士(Dr.William Molloy)による「アドバンス・ディレクティブ」 や、Ottawa 個人意思決定ガイド などがある。それ以外にも、オーストラリアやイギリスのアルツハイマー協会5 のリビング・ウィル・フォーマットなどがあるが、イギリスの場合は、日本と同様法的効力はない。

 日本では、日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」や、終末期を考える市民の会の「終末期宣言書」、満足死の会のリビング・ウィルの他、神戸市の大沢病院における「終末期医療における意思確認書」などがあるが、「尊厳死の宣言書」が最も有名である。

以上のように、リビング・ウィルとは、患者が自己の権利として自分の病気や、生死にかかわる決定を行うものであるが、このような権利は「自己決定権」と呼ばれ、1981 年、ポルトガルのリスボンで開催された世界医師会第34 回総会で採択された「患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言」で認められている。アメリカや南オーストラリア州などでは「自然死法」という名称のもとにリビング・ウィルが法的に認められているが、日本の場合は、判例として尊厳死の要件(1995 年横浜地裁の判決)は示されているものの、法的効力があるわけではない。したがって、現実問題としてどれだけ患者の自己決定権が行使されるかは疑問である。また、「尊厳死」も、人間としての〈尊厳〉を保って迎える死のことを意味するが、なにを尊厳とするかは個々人によって異なるため、あいまいにならざるを得ない。だが、「尊厳」という言葉の響きは美しく、耳障りがよいため、美的感情論に流される可能性も否定できず、「尊厳死」という名の下に意思決定に圧力がかかることは避けなければならない。

2 治療方針決定のプロセス
 患者が明確に自分の意思を表明することができない場合、患者の家族と医療者との間で治療方針の決定を巡って話し合いがなされるが、その場合の決定は大きく分けて3 つに分類される。代理意思に基づく決定、推定意思に基づく決定、そして事前意思に基づく決定
の3 つである。以下では、この3 つの意思決定について、同一の仮想事例を挙げて、検討してみる。検討シートは、東京大学清水哲郎教授をプロジェクトリーダーとする臨床倫理検討システム開発プロジェクトによる臨床倫理検討シートを使用し、事例は専門医師によるアドバイスの下、筆者が仮想事例として作成した。ここでは、問題の焦点を栄養管理に絞り、検討していく。また、本論で問題とするのは、治療方針の検討ではなく、一般の患者がこうした状況に置かれた場合、何が検討され、何が問題になってくるか、そしてそのとき自分にとって何が必要かを考える、ということである。

2.ファミリー・リビング・ウィル
 延命をどうするかなど、事前に本人による自己決定が指示されていても、日本の社会では欧米と異なり本人の意思より、家族の意思が優先されることが多い。そのため、常日ごろ家族あるいは身近な人と、話し合い、自分の意思を伝えておくことが必要であると東神戸病院緩和ケア病棟院長の大西和男医師は説く。大西医師はそれを、「ファミリー・リビング・ウィル」と呼び、推奨している。なぜなら、実際の医療現場でどの程度、リビング・ウィルが有効かについては、4 月15 日付の神戸新聞記事にあるように、リビング・ウィルが現実にはほとんど機能しておらず、たいていは家族の意思が大きな影響力をもつのが現状であるからである。

ちなみに、2007 年4 月15 日付の神戸新聞によると、末期がん患者に対する治療方針について、医師がだれの意思を優先させるかというアンケートでは、家族の意思(先に家族の意向を確認する)が46.6%、家族と本人双方の意思が48.7%、本人の意思(患者の意思決定だけで十分で、家族の意向を確認する必要はない)はわずか0.8%、という結果が出ており、医療現場では家族の意向が大きく考量され、患者の意思はあまり尊重されていないという実態が浮かび上がっている。以上を踏まえ、大西医師は、常に家族と十分話し合っておく必要がある、と述べている。

末期癌などのような場合は、本人の意思表示が比較的可能であるため、話し合いながら本人の意思に沿うように治療等を行なうことができる。しかし、脳転移、肝性脳症、せん妄など、本人の意思表示ができない場合は、たいていは家族との話し合いによって決定されるので、その場合、家族間での対立があったときなど、医療者の判断で決定することはできない。また、長期の看病に疲れ、患者が苦しむ姿に耐えられない家族は、早く楽にして欲しいと望むものの、いざ患者が亡くなって冷静になると、後悔が生じてくることもあり得る。それ以外でもALS(筋萎縮性側索硬化症)の場合、認知症や寝たきりの高齢者の場合は、予後が推定できないため、さらに難しい問題が生じてこよう。欧米とは異なり、日本ではどうしても「死」は〈本人の問題〉のみならず、〈家族の問題〉という思いが根強くある。したがって、患者は、家族との間で意識のズレが生じることがないよう、家族と日ごろから対話を心がけておくことが大切である。

 2006 年4月23 日付朝日新聞の記事によると、医師から回復の見込みがなく、死期が迫っているといわれた場合、延命治療を望むか、という質問に対し、本人は「望まない」が88%であるのに対し、家族では71.7%と減少し、「どんな状態になっても生きていて欲しい」という気持ちが表れている。延命を中止しなかった理由としては、仮に本人の意思を尊重して延命治療を中止した場合でも、家族は罪の意識や後悔に悩むことが多いため、躊
躇するということも理由として挙げられるのではないか。したがって、そのような思いを家族にさせたくなくて、リビング・ウィルを書く人も多いように思う。
 
 以上から、リビング・ウィルを書くことが大切であることは理解できるが、リビング・
ウィルがどの程度尊重されるかは、日本尊厳死協会の2003 年のワークショップでの益田
雄一郎医師の報告によると、本人や家族が思っているほど効力を発していないという調査
結果が出ている。報告書では、患者の遺族が「リビング・ウィルを尊重してもらった」と
回答している医師の3 分の2 のうち、半数は「リビング・ウィルを見た」と答えているが、
あとの医師は「見せられたという意識がない」ということで、さらに「見た」と答えた医
師で「治療行為に影響を受けた」と答えた医師は35%で、残りは「影響を受けなかった」
と答えている。だが、65%の医師が、「患者•家族側とコミュニケーションを取れた」と答
えている 17 ことから、治療方針を決定する際に影響を与えるのは、リビング・ウィルよ
り、医療者と患者側との間でいかにコミュニケーションがとれているかである、というこ
とになる。

3.人はどこまで自分に責任をもてるか?
 以上のように、治療方針を決定するにあたっては、医療従事者や家族とのコミュニケー
ションは不可欠であるが、何より重要なことは、自分で考え自分で判断できるということ
である。それだけ自分の責任が大きくなるが、そこにインフォームド・コンセントの意義
があるのだと思う。では、自分は一体どこまで自分に責任が持てるのだろうか。決定する
に当たって、私の人生観は尊重されてよいのではないかと思う。ただし、そこには一定の
ルールがあることは認める。私の生き方が他人に危害を与えないこと、社会的な秩序を乱
さないことなどである。例えば、私は回復の目処がなく、自分の口からものが食べられな
くなったら、栄養補給は絶ちたいと思っている。だからといって、そうなっても栄養補給
を希望する人の意思を否定する気はない。経口でものが食べられなくなったら生きていた
くないと思うことは、「『そんなふうになっても』生きている人を切り捨てる」ことになるのだろうか。私はただ自分が望まない治療を延々と施されることを望まないだけである。

意識のないまま、延々と栄養を補給されることや、人工呼吸器で酸素を送り込まれること
など、私にとって価値のなくなった資源を浪費する以外の何ものでもない。そう思うこと
で、私は自分の価値観に負い目を感じなければならないだろうか。

 私は、自分にとっての「いのち」の質は、他者(社会)にとっての「いのち」の質、も
しくは価値と等価ではないと思っている。それは他者の価値を認めないということではな
い。わたしが自分の「いのち」を決定する時、医療•福祉全般の福利の推進が、私の〈主た
る〉目標ではなく、あくまでも私個人の全体の福利が目標だという意味である。だからと
いって、家族を含め他者の幸福を考慮しないということではない。仮に、医療面でわずか
の福利が得られても、わたし個人にとっては何ら価値のないこともある、ということであ
る。

患者の「身体的、心理的、社会的、経済的、宗教的、美的、法的といったひとの全体的
な福利の複数の下位部分」19 については、医師がすべてを理解することは現実的に不可能
である。よって、「これらの領域のあいだでそれぞれのバランスをとって、全体的な福利の
大きさをできる限り大きくすることは患者の仕事である」と、私は思っている。患者が
自分の延命、健康の増進、苦しみの除去、病気の治癒などのどの目標を重視するかはそれ
ぞれ人によって異なろう。何が何でも自分の思うようにとは思わないが、放っておいても
らう権利、他人から干渉されず自律的に行動する「消極的権利」も場合によっては「あ
り」ではないか。その意味では、認知症も含め、自分で判断できなくなったとき、判断能
力のあるときに行った自分の判断に責任を負う者でありたいと思っている。

4.おわりに
「わたしの歯の『痛み』、私のペンをもつ『感覚』、わたしのこころの存在は、私にとっ
て、まさにそれがあることによって存在するのであり……私の『痛み』、私の『考え』はど
こにも『拡がり』をもたない。……わたしの身体のどこを探しても、歯は見つかるけれど
もその『痛み』はなく、脳は見つかるけれども『考え』はない。……、こうしてデカルト
は人間について『思惟』の世界を認めようとする。しかし、問題は、『思惟』が『拡がり』
をもたない以上、それはいかなる形においても、他人にはその存在を確認できないような
宿命をもっている点である」。それでも、多分、わたしたちは、「もの」の延長として扱
われることなく、痛みや「こころ」をもった一人の人間として、自分の思いを他者に伝え
なければならない場合がある。だから、私たちは、少なくとも私は、リビング・ウィルを
書きたいと思うのである。

 そこで再び、「なぜ、リビング・ウィルを書くのか」であるが、「患者のウェル•リビン
グを考える会」では、判断能力のあるうちに、医療検討シートではなく、患者自らが自
分のプロフィールや病歴をノートに記していく、リビング・ウィル•ノートの作成を検討
している。それを作成することの意義は、そのノートに医師からなされた病状説明やそれ
に対する自分の理解や疑問点、それらに対する質問事項を記録していくことによって、イ
ンフォームド・コンセントに役立てたり、リビング・ウィルの作成に役立てることである。
また、その中に、自分のそのときどきの思いや家族の思いを、ときには写真を添えて書き
綴ることによって、ひとつの「いのちの物語」をつくりあげることである。そして、結果
的にはそれらが最良の治療方針へ向けての医療者との、また家族との合意のプロセスとし
て出来上がればよいと思っている。リビング・ウィルを書くことは、〈死〉に焦点が当てら
れがちであるが、生から死への「間合い」を綴る「いのちの物語」の中で〈生〉を捉える
ものである。精一杯生き、それでも生きることが許されないとき、死に勝る苦痛から解放
され、安楽な死を迎えたいと願う患者の思いは尊重されてもよいのではないだろうか。
死ぬ時期は自分で選べるものではない。また、選択肢は、背景の違いによって異なるし、
年齢によっても異なる。そして、それらを安易に考えてしまうと、高齢者切り捨ての大義
名分になったり、弱者を切り捨てることにもなりかねない。しかし、少なくとも私は、自
分に判断能力がなくなったときは、判断能力があったときの「わたし」の決定を尊重して
欲しい。なぜなら、「もしある人が以前にしかも有能力な状態で十分明確な選好を表明して
いるなら、その自律的選好は、無能力となった状態まで拡張しうるし、拡張されるべき」
24 だと思うからである。ドゥオーキンの「ライフズ・ドミニオン」に従えば、経験として
楽しい、好ましいものについての経験である「経験的利益」(experiential interests)より
も、よく吟味された上でそれを欲することがその人にとって望ましいものとして求められ
る「批判的利益」(critical interests)を基盤とし、人生を「統一的な創造的物語」(integral
creative narrative) とみなしたい。だから、判断能力のあるときに希望した私の決定が、
判断能力のなくなった時点で、私以外の第三者によって変えられるのであれば、代理人を
立てて、事前指示を作成することの意味がなくなってしまう。たとえ、第三者の判断が私
にとって「最善である」と判断されたものであっても、私が最後まで自分の事前指示に責
任をもつのでなければ、それを書く意味がない。本来、リビング・ウィルとはそうしたも
のではないのか。勿論、変更したくなれば自由に変更してもよいし、その意味では「ファ
ジー」で「融通無碍」である。

ただ、事前指示がどこまで有効かについては、数々の問題があり、ここでは紙面の都合
上、取り上げない。ただ、昨今よく問題となるのは、認知症の例である。認知症の患者の
事前指示の有効性を巡っては、ドゥオーキンやドレッサーなどの議論が紹介されたいくつ
かの論文 があるが、本論で問題としているのは、遷延性植物状態や回復不可能の診断
のついた永続的植物状態などを含め、意識の有無が判断できない場合や、判断能力が認め
られない患者の場合である。しかも、治療不能で回復の見込みのない状態にあり、治療中
止を求める本人の意思表示があるという「尊厳死の要件」に該当するケースである。現状
では、認知症の場合、たとえリビング・ウィルがあっても、本人の自律性を尊重して治療
の中止、あるいは手控えがそのまま認められることは難しいだろう。ただ、リビング・ウ
ィル作成を検討するに当たっては、今後、認知症についても検討の射程を広げなければな
らないとは思っている。ただ、「マーゴの事例」で思うことは、仮に「新しい人格とし
て今の新しい生活に一見満足しているように見える」マーゴでも、どうしてマーゴ以外の
「あなた」が、あるいは「彼、彼女」が、「マーゴは幸せである」と判断できるのだろうか、
ということである。逆に、症状が進んだマーゴの状態があまりにも悲惨であるとまわりの
人の目に映ったなら、彼女に治療を施さないことは認められるのだろうか。

以上から、私は、自分が判断したことに対して、判断ができなくなった「わたし」にも責任をもちたいと思っているし、その意味でも私は、事前指示は尊重して欲しいと思う。
だからといって、事前指示にかなった死に方が必ずできるとも思っていない。薄れ行く意識の彼方で「しまった」と思うかもしれないが、それはそれで自分の人生だと諦めるしかない。

※寺田理事長も「リビング・ウィル」に入会しているので、会場に参加している皆さんにも入会する場合の要領を話してくれた。私ども夫婦も早速資料を取り寄せることにしました。

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プロフィール

ゆきまつ

Author:ゆきまつ
幸松(ゆきまつ) 
   孝太郎(こうたろう) 
65歳
住所:名張市百合が丘西2ー86
職業:名張市議会議員(無所属)
家族:妻、二男一女の5人家族
座右の銘:
”Mastery for Service
(奉仕のための練達)”
「”社会の中で輝いた生き方”をするために!」

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